科学・技術の歴史 – オススメの読み物

数学, 物理学

科学・技術の歴史 – オススメの読み物

科学史を知る機会,馴染む機会は非常に少ない.

義務教育にそのような科目は勿論ないし,
高校で日本史や世界史を学ぶことはあっても科学史を学ぶことはない.
メディアで取り上げられることもそう滅多になく,大河ドラマもない.

「ニュートンはりんごが落ちるのを見て万有引力に気づきました」

おそらくは,このような使い古された (作られた) 逸話を聞くだけの,
非常に断片的な事実を知っているかどうかというところだろう.

不思議な話だ.我々は科学の恩恵を浴びるように生きているのに,
その技術がブラックボックスであることを盲目的に称賛し,
その中身を創り上げた人々や歴史的背景,
更に言えば名もなき無数の科学者を顧みることは甚だ少ない.

また一方で,あるときは英雄のように奉り,神格化し,
精神的規範のプロパガンダとしておもちゃにされることすらある.

科学史を紐解いてみると,こういった暗がりが照らされて徐々に周りが見えてくる.
そういった話の読み物を以下に紹介したい.
なお科学史とここでは述べたが,
より広く技術史や工学史,ないしは産業史としての側面も含めている.

ニュートンに消された男 ロバート・フック

フックはフックの法則で知ることが多いだろう.
彼は実験家であり,建築家・博物学者などの顔も持っていた.
ニュートンはこのフックを彼の死後に一切の痕跡を抹消しようとした.
おかげでフックの肖像画が片っ端からなくなり,
現在でもフックの顔が「ああではないか」「こうではないか」と研究対象にすらなっている.
ニュートンの執念深さは尋常ではないが,文字通り「消された」のだ.

この本はそんなフックの生涯を追った本である.
彼の故郷を訪ね,彼がのし上がっていく様子を丹念に見ていく.
自らの才能を十分に活かせる職に付き,
女性関係を楽しみ,『ミクログラフィア』で一般にも有名人となり,
正に人生を謳歌していた.
本書ではフックの実に精力的な人物像を描いているのだ.

そんな彼の元に青年ニュートンが現れ,人生の絶頂を終えることになる.
しかもフックが得意とした望遠鏡を巡ってだ.
ホイヘンスら海外勢力も加わったフック陣営は強力で,
ニュートンは非難の雨を浴びることになった.

この辺り,生々しいわけである.
普通のテキストではフックやニュートン,ホイヘンスなどなど,
科学者達の人間関係を述べることは少なく,
もしかしたら仲良く建設的な意見を戦わせながら発展させていたのだろう,
という幻想を抱く人もいるかもしれない.

しかし現実はそうではない.さぁ,どうなるか.
本書は物理的な説明も丁寧に行いながら,経過を記述しているので,
ぜひ彼らのやりとりを本書で体験してみて欲しい.
(フックの生涯に忍び寄るニュートンの影にゾクゾクする楽しみもある)

ニュートンに消された男 ロバート・フック (角川ソフィア文庫)

技術者たちの敗戦

日本という国は急激な近代化を成し遂げることができた稀有な国の一つだろう.
神話の世界に生きている国に,進んだ先進技術や数理を持ち込んだからと言って,
それが国家を支えるほど普及することは自明ではない.

本書で取り扱っているのは,
「零戦」「新幹線」「造船」「レーダー開発」「自動車」
に関わった技術者や経営者たちである.

例えば「零戦」は戦闘機として現代でもしばしば驚異の戦闘機だとかいって,
戦績や操縦者の武勇を褒めそやす事が多いが,
それを作った技術者たちにスポットライトが当たることはあまりない.

本書でも語られているように,彼ら技術者たちは設計者であるがゆえに,
「零戦」の弱さや米国との戦力差を客観的に理解していた.
従ってこの戦闘機がそれほど優れた評価を受けていたとは驚きだったと言葉にしている.
ましてや特攻隊に使用され,
自らの手を離れていいように扱われてしまう技術者の悲哀まで述べている.

メディアは技術を脚色し,扇動し,蹂躙する.

「わかりやすさ」

その考えの名の下に削ぎ落とされる様々な事実を技術者たちは淡々と語るのである.
「零戦」だけでもこのまま書評を続けてしまうと長文になってしまうほどだ.

他のテーマも技術者当事者もしくは非常に近しい人物の生の証言をもとにしており,
敗戦濃厚の時代をどのようにして抗い,
また戦後にどういう道を歩んだのかが克明な取材で様子を描き出している.
技術者たちが如何に時代や組織に翻弄されながらも,
最善を尽くしてきたかを知るには非常に貴重な一冊だろう.

本書文庫版のあとがきには三菱重工の MRJ 開発に対して,
ひとしお期待を込めた言い回しがあるが,
2020 年 5 月 22 日および 6 月 15 日に事業縮小の報道があった.
これをどう見るか,型式証明の話など,
技術者たちの苦悩や生の声が広く一般に知れ渡ることはあるだろうか.

文庫 技術者たちの敗戦 (草思社文庫)

ねじとねじ回し この千年で最高の発明をめぐる物語

「ねじ」は非常にありふれた存在であり,まるでずっと以前からあったように思えてくる.
また「ねじ」は意匠面から隠されることも普通であり,普段意識するのも難しい.
ありとあらゆるところに使われていると言ってもよいものだが,
実は日本,いや他のアジア諸国含め,「ねじ」というものを自らが発明できなかったのだ.

日本の木造建築は長い歴史があり,「継手」「仕口」には職人技が光るところでもある.
建具でも引き戸を滑らかに引けるようにするのもまたすごい技術である.

また鉄に関しても,日本は青銅を飛び越していきなり鉄器を手にする歴史を歩んだ.
大化の改新に近い時代より鍛冶 (この言葉時代も日本独自) の技術が,
途絶えることなく現代にまで続いているのである.

しかしどうして,「ねじ」は作られなかった.
記録によれば種子島の火縄銃伝来まで「ねじ」の存在自体が知らなかったようだ.

そう改めて過去を振り返ると面白いものだ.
ドア (開き戸) なんてものはつい最近現れたわけだ.

西欧とそれ以外でこのような差が出た要因を調べることは面白いことだが,
その一つにはこれら技術に関わるプレーヤー層の違いを挙げることができる.

日本で「ものづくり」しているとなると,どうだろうか.
中小企業や下町工場を思い浮かべないだろうか.
部品関係は特にそうだろう.
部品一つ一つや,ちょっとした器械を組んでみる,ということをする層が,
資本家にいるようなイメージがあまりない.
逆にそのような趣向を持っていれば,「おお」と注目を集めるほどだ.
これは今に始まったことではない.
それこそ,古くは渡来人のように政 (まつりごと) は自分たちで行うが,
技術に関しては「誰か詳しい人」がやってくれるような他人事感がある.

やや脱線するが,アメリカから将来の技術大国としての日本に夢を持ちながら,
「ねじ」を持ち帰った人物の首を無実の罪ではねるなど,
日本はとかく一昔前まで十分に野蛮な国だった.

一方で西欧では,
(もちろんこれは主語が大きいことは十分承知であるが,)
貴族が暇つぶしのために旋盤を回したこともあった.
それがステータスでもあったのだ.
婦人が刺繍を好むように,紳士は旋盤を好んだというのだ.
18世紀の終わりまで人気の趣味だったという.
これだけを聞くと積極的に関わろう,やってみようという気概が伝わってくるようだ.

歴史を紐解いていくと,古代ギリシア,かのアルキメデスやヘロンらに行き当たる.
この文明は奇跡のようなもので,他の諸国同様,
少なくとも日本は自力では達成できなかった(はず).

産業の塩とも言われる「ねじ」が現代に至るまでの軌跡は,
釘と比較しても甚だ非自明であり,この本がその道程を照らし案内してくれるのだ.

ねじとねじ回し この千年で最高の発明をめぐる物語 (ハヤカワ文庫NF)

「ものづくり」の科学史 世界を変えた《標準革命》

ねじとねじ回し この千年で最高の発明をめぐる物語』でも触れられているように,
標準化というのは「ものづくり」において重要な位置を占めている.
標準化を握ればそれだけで支配的地位につくことすらできる.
これは勿論,資本家にとっても喜ばしいことでもある.

今やハードウェアに限らず,ソフトウェアの世界でも標準があり,
技術者はその恩恵を受けつつも絶えず翻弄されている.
現代で言えば,紙面を賑わせているのは次世代の通信規格「5G」だろうか.

こういった標準化が進むと,効率的にものづくりができる一方で,
ある程度の奥ゆかしさのような細かい気配りを捨てる必要がある.
簡単に言えば,10 cm で長さが決まったら,11 cm が好きな人もいるが,
それは問答無用で諦める,というようなものだ.
加えて「職人技」というのが必要とされなくなるわけである.
人間も機械のように規律だった行動がだんだんと求められてくる.
このようなことが原因でかつては殺人事件にまで発展した事例を本書では紹介している.
この標準と個性のジレンマは資本家と労働者との間でいつも対立を招いてきたわけだ.

またもちょっと脱線するが,ひとたび,標準化が決まると,
バッサリと技術の価値が下がることがあり,
そういうものがあったんだ,と,
誰もが忘れてしまうこともしばしばである.
常に新しい技術を追いかけることだけが美徳になりがちで,
これまでの流れを意識しづらい.

それと関連するのか,かつて「国立産業技術史博物館」なる構想があった.
しかし財政難から,開館に向けて集まった産業機械2万3000点の資料は一部を除き,
全て廃棄されたのであるが,全く誰も報道しなかったという.
ガラクタのような扱いなわけだ.
これが美術品であれば大騒ぎであり,
歴史的建造物なら,多少話題になるというところである.
一度忘れられた技術の価値の低さ,認識の低さには驚くばかりである.
日本には James Watt の蒸気機関のような記念碑的なものが生まれにくいのかもしれない.
この辺りは科学史の啓蒙活動や環境があまりに貧弱だという点も関連しているように思われる.

さて標準化の別の側面として,「なぜその標準化になってしまったのか?」というのがある.
もっと効率がいいものがあったりするが,なぜかそうなった,という類のものである.
キーボード配列はその代表例でり,本書でもとりあげている.
こういうところも技術者が翻弄されるところであろう.

本書は様々な事例を挙げて標準化にまつわる話を行っており,
どこからでもある程度は独立して読めるので,その意味でもオススメである.

「ものづくり」の科学史 世界を変えた《標準革命》 (講談社学術文庫)

数学, 物理学